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あれはまだ、自分の立場をやっと意識し始めた頃。
それでも王女の肩書きはなんとなく理解は出来ても自覚は出来なくて。
あの頃の自分は幼くて、世界の中心は自分だった。
後ろには父がいて母がいて、隣にはファインがいた。
父の膝で眠り、母の胸で泣いて、手を繋いだファインとどこまでも駆けていく。
それが、自分のすべてだった。
大切なものはそれだけだった。

年に一度会うか会わないかくらいの彼のことは会ったときのその場だけの話相手くらいにしか思ってなかった。
そして久しぶりに見た彼は少しだけ成長いていた。
収穫前の小麦色の髪、まだ幼さは残るものの少しだけ精悍になった顎のライン、ほっそりとした手足はこれからきっと筋肉が付いて逞しくなるであろう、身長も更に伸びるに違いない、そしてお伽話の王子様のように美しさと逞しさ、そして優しさと勇敢ささえも持ち合わせる国の誇りになるのだ。
一瞬瞠った目をすぐにファインに戻す。
にっこり目を合わせて繋いだ手に力を込める。

「行こう!」

笑って駆け出す。
ファインと一緒に。
自分の世界に彼はいない。
だから興味もなければ執着もない。
あたしの世界に、彼はいらない。



だからどうしてそうなったのか果てしなく疑問で、未だにその疑問は解けていない。
けれど、そうなったのは事実だ。
そして今の自分を形づくるものでもある。
とにかくそのとき、自分の横には彼がいた。
父でも母でもファインでもなく、彼がいた。
ピクニックか何かだったと思う、みんなで森に出掛けてお弁当を広げた。
同年代の子供ばかりが集められていたけれど、そんなことはどうでも良かった。
ただ、ファインがいればいい、それだけ。
別に回りを見下していたわけじゃなく、単に視界に入らなかっただけだ。
自分の世界ではないから。
誰が何を言おうと構わなかったし、何かを言うつもりもない。
だって彼らは自分の一部ではないから。
逆に言うとファインは自分の一部ですべてだ。
世界の半分はファインで残りは父と母で出来ている。
今その父と母はいなくて、どうしてかファインともはぐれてしまった。
不安で寂しくて泣きそうになるのを抑えて黙々と歩いていた。
そして、彼がいた。
明るい森の中を迷いなく歩く足取りに、ついていけばファインに会えるんだというわけのわからない自信があって。
ひたすらしゃくりあげそうになりながら付いていく。
それを知ってか知らずか彼は自分が付いていける精一杯の速さで歩いていて。
腹立たしいのに切なかった。

ずっとずっと――本当はそんなにたいした時間ではなかったのかもしれない――歩き続けて、唐突に開けた場所に出た。
そこはちょうど木々の切れ目、草木の生えることの出来ない場所。
少し先は、断崖だった。
疲れている足と、近い夕暮れにかすんでいく視界。
不安で不安でたまらないのに、ゆるぎない足は自分の二歩手前で止まった。

「見て」

初めて聞いた声はとてもはっきりしていた。
とても、強い声。
いつも聞く父の声は穏やかで母のそれは優しくて、ファインの笑い声はいつも抜ける空のように明るかった。
そんな今まで聞いてきたものとはまったくちがう、揺ぎ無い、強い声。
話しかけてきたにも拘らず彼の視線が自分に向くことはなく、その顔はただ前を向いていて。
惹かれるようにその視線の先を追った。

「――…っ!」

息を呑む。
まず目に飛び込んでくるのはオレンジの閃光。
言葉通りに目に飛び込んできて、思わず目を細めて手をかざしてもまったく緩むことなく指の隙間から瞼の隙間から緩むことなく容赦なく瞳を焼く。
少しだけ慣れた頃にはかすかに瞼を持ち上げてみるが、それはまったく揺るがない。
ちいさく視線を動かせば、次に見えたのはぽっかりと浮かんだおおきな橙色のまるい光。
それをみてやっとこれの光が夕日のせいだと知る。
見れば空が染まっていた。
いつも見ている青とは違う、山吹色の空と雲。
その下の海も青ではなくて、空よりも更に濃い金色。
それが、見る見るうちに赤く染まる。
空はオレンジのそれよりも濃くなって雲は秋に染まる紅葉よりも赤く、それを映す海はもっともっと真っ赤に。
視界いっぱいに広がる赤。
絵の具よりももっと濃くて、血のような毒々しさもなくて、薔薇よりももっと美しい、紅の空。
初めてだ。
こんな夕日は初めて見た。
いつも夕日を見るたびに、ファインのその髪や瞳のほうが綺麗だと、迷うことなく言えたのに、今は…なんだろう、うまく言えない。
こんなの、比べられない。
圧倒的な、まるで質量を持つかのようなこの、赤い色。
世界が、赤で満たされる。
ふいにわけもなく泣きたくなった。
流れそうになる涙を必死でこらえる。

「…この世界を守るよ」

強い声が、聞こえた。
さっきと同じ彼の声。
そこでやっとレインは自分が一人ではなかったことを思い出した。

「ずっとずっと」

真っ赤に染まった世界で、同じように真っ赤に染まった彼が初めてこちらを振り返った。
髪も肌も服も、すべてを赤く染めた彼。
その瞳もまた赤いんだと、今このとき初めて気付く。

「この美しい世界を、守っていこう」
「…はい」

何をすればいいかなんてわからない。
方法だって知らない。
プリンセスという立場だって最近やっとわかってきて、でも自覚なんかなくてどうすればいいのかわからない。
それでも答えた。
自分も、守りたいと思った。
この美しい『世界』を。

自分の『世界』が、初めて父と母とファイン以外で満たされた。







君はまだ、あの約束を覚えているかな


夜明け前のバルコニー、海の近くだから潮の香りが空気に溶ける。
風が強い。
湿った空気が頬を撫でる。
長くはない髪を風がさらう。
遠くで小さく鳥が鳴いた。
白々と明るくなっていく空。
暗い海と暗い空の境界線が、光になってはっきりと見えるようになる。
夜の闇が、乳白色の光に払拭される。
この時間が好きだった。
明るくなって、澄んでいく空と海の青が好きだった。

「しつこいのかな、僕は」

ブウモはまだ寝ている。
寝息は聞こえないけれど、起きてきたら途端に喚きだすからすぐわかる。
それにちょっとねぎたない彼だから、この時間を邪魔されずにすむ。
これはとてもありがたかった。
夜明け前に起きだして空を見ることはいつの間にか身に付いた習慣だ。
この青を見るためだけに。
いつか彼女とした約束を忘れないために。
まぁ、見なくたって決して忘れはしないのだけれど。

あの頃の彼女達はとても目立つ存在だった。
赤と青というその色がそもそも彼女達の目立つ第一の理由だったのだけれど、もっと大きかったのは二人が纏うその雰囲気。
いつも一緒、ずっと一緒。
二人の周囲は、たったその二人だけで完結していた。
足りないものも余分なものもなく、見るのはお互いのことだけ。
たった二人だけで。
それが、ひどく腹立たしかった。

そんな時に訪れたあの時間。
なぜか君は一人で、なぜか僕についてきた。
そして君と、約束をした。
正直返事が返ってくるなんて思ってなかった。
とても驚いたけれど、同時にとても嬉しかった。
どれだけ嬉しかったかなんて、きっと君はわからないだろう。

たくさん勉強して、身体も鍛えて。
学ぶことはいくらでもあった。
学び尽きるということはきっとない。
そして、巡ってきたチャンス。
僕は、君との約束を果たすよ。

「この美しい世界を、守っていこう」

僕が王となり、君はそのとなりで笑っていてくれたらそれでいい。
もしあのとき、ついてきたのが君じゃなくて赤の姫だったとしたら。
そんな仮定は意味がない。
もし。
たとえば。
それも今となっては考えるだけ無駄なのだ。


一緒に行こう?


そして差しのべた手を君は。
泣きそうな顔で言うから。

「私は、行けない…」

だから理解した。
君の世界にはまだファインしかいないんだね。
だったら連れ出してあげる。
一緒に『世界』を見に行こう。
ファインのいない世界を。
彼女がいなくなれば、僕の手を取ってくれる?
君はあの約束を思い出す?
だけど。
たとえ君があの約束を忘れたとしても、僕は守るよ。


だからレイン



僕は、君の世界を、壊すよ―――……








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