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特に興味もない講義、進級と卒業に足りるように単位がほしくて取っているだけ。
しかも合否は出欠とレポートのみだから、聞いていなくても問題はない。
よってこの講義は内職者の集まりで自分もその中の一人。
前の講義は入れてないからいつも早めに来て一番後ろの席を陣取る。
そんな態度に問題を感じないでもなかったが、金曜の最後の講義ともなればそれもしょうがないだろうと少し自分に甘えることにしていた。
高校と違って始業チャイムはないから、時計通りにしゃべりはじめた教授の声はひどくしゃがれていて意識的に頭から追い出す。
出欠は最後に取るからこれから集中して別の授業のレポートを書くことができる。
なにを書こうか考えながら机に筆記用具を広げていると、遅れてきたらしい誰かがとなりに座った。
他にも多少空いてる席があるのにわざわざここを選んできたことに心の中で舌打ちする。
「こらそこ、帽子は取りなさい」
この教授は帽子をかぶったり机にジュースやお菓子を置いてることに厳しい。
また誰かが…とげんなりしていたら。
「すみません」
聞こえた声はすぐ隣。
しかも聞き覚えのある声は、ここにいるはずのない彼女のもので。
慌てて隣を見れば、白いキャスケットから青くさらさらな髪をほどくレインがいた。
「なっ、…んでここに?」
思わず大声を出しそうになって慌てて声を潜める。
フレームなしの眼鏡の向こうは綺麗に笑う目があるだけ。
通ってる学校は教えたから知ってるだろうけどなんで授業と教室までとか、人気モデルの彼女がこんなところに来たら騒ぎになるとか、そんな眼鏡と帽子だけじゃ変装とは程遠いとか…。
言いたいことはいろいろあるはずなのだが、うまく口から出てこなくてはくはくと動くだけになってしまう。
それを面白そうに見てる彼女に文句の一つも言ってやりたいのだがやはり出てこない。
授業終わったらね、といたずらに笑う彼女に頷くことしか出来なかった。
授業が終わって急いでレインに帽子を被せて教室を出た。
彼女の髪は本当に綺麗で大好きなのだけれど、ここではただ目立つだけになってしまう。
騒ぎになるのは極力避けたい。
「急にお休みもらったの」
やっと学校から少し離れた喫茶店に入り腰を落ち着ける。
広くはない店内は落ち着いていて、たとえレインがいるとバレても騒ぎになるようなことはないだろう。
「だからっていきなり来ることないだろう」
その頃になれば多少落ち着くことができてやっと文句を言ってみる。
いくら休みになったからって突然来るのはどうかと思う、しかも学校に。
最近では雑誌だけじゃなくてCMの仕事もしている彼女の名前を学校で聞くこともある。
そんなところをもっと自覚してくれと心底思う。
こんな美人で可愛い彼女が自分と付き合っているのも不思議なのだが、その分心配したりやきもきすることが多い。
もっと自重してほしい。
「だって会いたかったんだもん」
「……」
「怒った?」
「…怒ってはいない」
けれどどんな顔をすればいいのかわからない。
嬉しくて笑いそうになるのと、諫めなければとしかめっ面を作ろうとするのとが変に絡んでおかしな顔になっていると思う。
それを見てまたレインが笑った。
「素直に喜んでよ」
「喜べないからこんな顔なんだ」
「笑ってくれないならまた学校行こうかなー」
それに一層複雑な顔を作って努力する、と憮然と返事をした。
からんと涼しげな音をたてたアイスコーヒーに口をつけて一気に半分ほど飲みほす。
香ばしい苦味が喉を通って多少すっきりした。
「…で、なにがしたいんだ?」
諦めたように聞けば待ってましたとばかりに輝いた表情を見せる。
それが見たくていつも彼女のワガママを聞いてしまうのかもしれない。
付き合い始めた頃はおっとりとして控え目な人だなと思っていたのに、急に突拍子もないことを言い出したりしてみせたりするものだから驚いたなんてものではない。
実は強い主張を持っていて言いたいことはちゃんと言う、したいことはする、とはっきりした性格だというのは最近知った。
でもそれが逆に彼女との距離を掴みやすくて親しくなれたと思う。
いつのまにか自分の中に入ってくる彼女が大きくなって、今ではもう…骨抜きにされている。
そんな自分が嫌じゃなくて更に困った。
「この前雑誌で使ってもらったデザイナーさん主催のパーティーがあるんだけど」
服買いに行こうと言う彼女に頷いたことを、その後深く後悔する。
モデルという仕事柄新しく出来たショップやビルはなるべくチェックしに行くらしく、たまに付き合うこともある。
仕事といっても彼女の場合半分は趣味のようなもので、更には自分が退屈しないように気を使ってくれるからなかなか楽しい。
今回もその延長で、彼女のパーティー用のドレスを買うものだと思っていた。
「…ここメンズなんだけど」
連れてこられたのは最近出来た大型ショッピングビルのスーツ売り場、しかもかなり高級な方の。
ずらりと並ぶスーツは当然すべてメンズで。
訝しげにレインを窺う。
「あれ、言ってなかったっけ?」
ちょこんと首を傾げるその姿は可愛い。
可愛いのだが。
その口から飛び出した言葉にため息をつきたくなった。
「エスコートして」
楽しげに笑うその表情は確信犯だ。
もうどうにでもなれとばかりに、言われるままあれこれと試着をして頭のてっぺんから足の爪先までコーディネイトされてしまった。
店員とあーでもないこーでもないと本人をよそに悩むものだから、開放される頃はもうくたくたでへたりこみそうになる。
それを更に引きずられ連れてこられたのは同じビルの最上階のこれまた高級そうなレストラン。
モデルだから体型維持は必須だろうに姉の影響だろうかなんだかんだでグルメな彼女は、居酒屋だろうがラーメン屋だろうが高級フレンチだろうがみんな同じ感覚で入るものだからこちらはたまったものではない。
疲れた上に気張るような場所は勘弁したいのだが、案内されたのは奥の方の少し隔離された場所。
喜ぶべきか、逆に店側のレインの扱いに畏怖を抱くべきかしばし悩む。
疲れてる今は素直に前者でいたいのだが。
「お疲れ様でした」
冷えた白ワインのグラスで乾杯してレインが笑う。
上機嫌のその様子に疲れたことも多少救われる気がした。
…疲れさせたのは彼女なのだが。
「付き合ってくれてありがとう」
「姫の望みとあらばいくらでも」
冗談めかして言うけれど、その心に偽りはない。
どんなに疲れても結局はこの笑顔に癒される。
自然と表情も綻んで、それからは美味しい料理に舌鼓をうった。
「ごちそうさまです」
「こちらこそありがとうでした」
普通なら男の自分が払うべきだろうが、しがない大学生ごときにほいほいと出せるお金はない。
こんな高い店に来ることは稀だが、それ以外でも大抵さっさとレインが済ませてしまう。
先程のスーツ一式も同様で、売れっ子モデルの高給取りであるレインが支払った。
彼女の都合に合わせたことだし仕方ないことではあるが悔しいことにはかわりないので、いつか自分が倍にして返してやろうと思っている。
いつになるかはわからないのだが。
「それじゃ明後日迎えに行くから」
驚いたことにそのパーティーとやらは明後日開かれるらしい。
すでに予定が入っていたらどうするんだという文句は発する気さえおこらなかった。
「いや、僕が迎えに行く」
支払いをさせたり連れ回されたり、男として情けない。
せめてエスコートくらいはちゃんとしたいと伝えれば、嬉しそうに笑ってくれた。
「ちゃんと家で待ってるように」
一応と念を押して頬にさよならのキスをする。
離れるとなぜか不満げに口をとがらせるレインの顔。
それすらも可愛いのだけれど別れ際にそんな顔はしてほしくない。
「なに?」
「それだけ?」
「は?」
会話が噛み合わない。
首を傾げれば近付いて来るレインの顔があって。
「…っ」
気がついたら唇に柔らかな感触が触れて。
反射的に瞑った目をゆっくり開けば、今度は満足そうに笑うレインの表情。
「じゃまた明後日、待ってるね」
そのままドアの向こうに消えた彼女にしばし呆然と立ち尽くした。
我に返るとおかしさが込み上げて来る。
またやられた。
結局彼女にはどうしたってかなわない。
名誉挽回とばかりに明後日のエスコートを完璧にするべく、どうしようかと考え始めた。
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