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触れた指先が震えた、軽く握られただけなのに。
反射的に眉間にシワがよった、カメラの前だというのに。
「J.Moonのお二人がはいりまーす!」
「おはようございます」
「よろしくお願いします」
スタッフに呼ばれて入ったスタジオは、既に多くのスタッフたちが動き回っていた。
この世界で挨拶はとても大事である。
たとえそれが、あまり気のない仕事だとしても。
今日の撮影内容は、今売り出し中の事務所の後輩『FR』の新曲のためのPVの撮影である。
そもそもの始まりは、マネージャーのトーマを通して伝えられた仕事からだった。
「楽曲提供?」
「あぁ、今ウチで売り出してるFRは知ってるだろう?」
「…まぁね」
あんな初対面で忘れるはずもない。
ブライトは曖昧に答えたものの、トーマは気にも留めず話を進めた。
要はトップアーティストである自分たちが、同じ事務所のよしみで後輩アイドルに曲を書いてくれと言うことだ。
事務所の上層部による命令と言っても過言ではない。
しかしブライトは断るつもりだった。
正直、気が乗らない。
それなのに。
「いいじゃないか、やろうブライト」
隣のシェイドはなぜかやる気満々だった。
曲を作るのは僕なんだが?と思わないでもなかったが、ブライトが口を挟む隙もなく、シェイドとトーマの間で話が進んでいた。
そしてなぜかシェイドの提案で、プロモーションビデオへの出演までもが決まっていた。
「勘弁してくれ…」
「何か言ったか?」
「…なんでもない」
こっそりついたため息は重いが、今更嘆いても仕方ない。
もうすぐそこに、セットは組まれているのだから。
そしてシェイドは何事もなかったかのように、挨拶に来たファインににこやかに話しかけていた。
「あの…今日は、よろしくお願いします…!」
「あぁ、よろしく…」
ブライトにも当のレインが挨拶に来た。
やや緊張しているのが傍目にもすぐ見わかる。
勘弁してくれ。
そういう面倒事は嫌いなんだ。
元々わりとドライな性格は自覚している。
ファンあってのこの仕事だとわかっているから、TVではにこやかに作り笑いをすることもある。
ライヴ中のテンションはそれとはまた違い、純粋にステージと客席の掛け合いが楽しくてたまらないから勝手に笑顔が浮かんでいる。
けれど、個々のファンをこうやって目の前にしたときは、また違うのだ。
過去、一人のファンにストーカーまがいの行為を受けたこともある。
だから今のうちに徹底して避けて通るしかない。
そう思っているから、ブライトは最低限の声かけだけして、すぐに打ち合わせへと向かった。
設定は待ち合わせ。
けれど来るか来ないか、それすらわからずに祈るように両手を握り締めている。
アンティークなベンチに浅く腰掛け、淡い木目に散りばめられた長く青い髪が、まるでそこだけ切り取るかのように周囲から隔絶されていた。
彼女の表情は浮かない。
伏し目がちにうつむき、縁取る青い睫が時折揺れている。
だってわからない、彼が来てくれるかどうかなんて。
逸る期待、でもそれ以上に不安で押しつぶされてしまいそうになる。
こんなにもどきどきしていて今にも膝が震えて逃げ出したくなるのに、それでもここにいるのは、時折見せてくれた彼の笑顔。
俯いて思い出す、あの優しい笑顔を。
だから彼女は気づかなかった。
彼女に近づく人影かあることを。
「遅くなってごめん」
聞こえた言葉にビクリと体を震わせて、けれどまだ俯いたまま。
本当に、今聞こえたのは彼の声だろうか。
期待しすぎて、自分に都合のいい幻聴が聞こえたんじゃないだろうか。
「怒ってる…?」
その言葉にはっと顔を上げた。
そんなこと、あるわけない。
急いで否定したくて、でも言葉が出てこなかった。
裏切られなかった期待と、それでもまだ残っている少しの不安で胸がいっぱいだ。
「よかった」
そしてそこには。
まぎれもない、彼がいた。
少し困ったような顔でこっちを見ている。
そんな顔をさせてくなくて、いつもの笑顔でいてほしくて。
だから、やっとの思いで、言葉をつむいだ。
「来てくれただけで、十分、です…」
本当はそんなことない。
好きだと、言ってほしい。
でもそれはあまりにも欲張りに思えて、それしか言えなかった。
高ぶりすぎた感情にコントロールが出来なくて潤んでしまった眼が、きっと嘘だとわかってしまうけれど。
やっぱり、それも本当の素直な気持ちだから。
けれど彼は浮かない顔のままで。
どうしたら笑ってくれるのだろう。
「本当に…?」
「ぇ…?」
「ほんとに、それだけでいいの?」
言葉と共にゆっくりと差し伸べられた右手。
ずっと駄目だと諦めてきた。
だからいつも期待していても不安は消えなくて、むしろ自分で不安をあおって防御線を張って。
結局駄目だったときに傷つかないように。
ずっとずっと、そうしてきた。
だけど。
今目の前に、彼の笑顔と差し伸べられた手が、ここにある。
「……っ!」
触れたら消えてなくなってしまうんじゃないかと今でも思ってる。
けれど、勇気を出して。
そっと、自分も手を差し出す。
そして指と指が触れた瞬間、彼の顔が微笑みに変わって。
唇の動きだけで伝えてくる、『よく出来ました』と。
それを理解した途端に、頬を涙が伝ったのがわかった。
「いやーーーー…レインちゃんの演技、よかったねぇ?」
「…そうですね」
「最後のあの涙なんか、なかなか狙って出来るもんじゃないよ!」
本当にいい仕事をした、と監督が上機嫌で話しかけてくる。
当のレインは、撮影が終了し監督のOKが出た途端に楽屋へ戻ったようだった。
そして残されたブライトは、ほかのスタッフと共に監督と話していたのだが、その実自分もすぐに楽屋に走って行きたい気分だった。
それくらい、イライラしている。
原因は。
「それにしても、ブライトさんがNG出すなんて珍しいですね?」
出したくて出したわけじゃない。
元々音楽が専門で、俳優ではない。
今回の撮影では台詞が用意されていたけれども、実際の映像では曲が流れるだけで声は入らないであろうに、わざわざ撮影したものだ。
あまり文句は言われたくない。
それよりも、この、胸にくすぶっているなんともいえない感情を抑えて話すことのなんとつらいことか。
そばにいたトーマに目配せし、なんとか逃げる口実を作る。
「NGの件、本当にすみませんでした…次の仕事がありますので、これで失礼しますね」
「あぁ、引き止めて悪かったね。お疲れ様」
「お疲れ様でした」
そそくさと去ると、後ろでトーマがフォローしているのが見えた。
今はとにかく、ここから逃げ出してしまいたい。
足早に楽屋を目指し、あてがわれた部屋へと駆け込んだ。
誰もいないことを確かめてソファに深く腰掛けうなだれる。
「…なんだったんだ、あれは」
握り締めた右手が、熱い。
さっきの撮影中に、レインが触れた右手。
ほんの指先を少し握られただけなのに、この感情は、なんなんだろう。
「彼女のせい、か…?」
たしかに、まだ新人のたかがアイドルだと思って、ファンなんですと言われた先入観も手伝って、侮っていたところはあった。
自分だって演技が専門なわけでもない。
けれど正直、今日の彼女の演技はどうだったろう。
片思いという切ない役どころを見事に演じきっていた。
それはもう、監督はじめほかのスタッフたちがベタ褒めするくらいに。
そして自分は、その演技に、あの瞳に、のまれた。
見上げてくる青い瞳に、すべてを見透かされているような。
きゅ、とまるで音を立てたかのようになのに極々軽く優しく握られた指先。
しかしその実、電流が走ったかのような錯覚に身を震わせた。
だからNGになった。
演技の中で迎えにいったはずの自分が、逆に動揺してしまうなんて。
「動揺なんてもんじゃないよな…」
「何の話だ?」
「…いつからいたんだ」
「ついさっきだが」
戻ってきたトーマにも気づかないほど、動揺していたらしい。
大きくかぶりを振って、近くにあったペットボトルに手を伸ばす。
それを見ていたトーマが笑った。
ぬるくなった水を喉に押し込みながら、視線だけ向ける。
「珍しいな」
「…NGのことか?」
「それもある」
意味ありげに笑うトーマに更にいらだつ。
敏腕マネージャーは、普段はまったくもって隙のないほど有能だが、時折こちらの機嫌をあえて損ねるような言動をするからタチがわるい。
「もしかして、惚れたとか」
メガネの奥の瞳が、悪戯に光った。
からかうような視線は、決して本気ではない。
すぐに逸らされた視線が、手元の手帳を追いながら次のスケジュールを確認している。
だから、返す言葉も軽口で。
「まさか」
その、まさかだった。
『指先から恋が始まる』