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薄暗い廊下を足早に進む。
黒の礼服を少しだけ摘んで持ち上げれば、裾を踏まずに歩けた。
とにかく、急がなければ。
束ねた髪がぱさぱさと揺れて首筋に当たる。
毎日丁寧に櫛を入れて大事に伸ばしてきた髪だけれど今はかまってられない。
青い髪を靡かせてレインは進んだ。
「…入るよ?」
立ち止まったのは自室の扉の前。
控え目にノックをして声をかけると、返事を待つことなくノブをひねった。
少しだけ開いてからすぐに身を滑り込ませて後ろ手にドアを閉める。
「レイン!」
聞こえた声にそちらを向けば、迎えてくれる愛しい笑顔。
「おかえり!!」
ベッドに横たわるのは、赤い髪を2つに束ね目を輝かせるファイン。
その笑顔にほっと肩の力を抜いた。
すぐに駆け寄って起き上がったファインを抱き締める。
「ただいま…」
すぐに背中に回される腕が温かい。
詰めていた息を吐き出すと、少し離れてファインの隣に腰掛けた。
しかしその手は繋いだままぴったりと身を寄せあって座る。
ひとしきりそのぬくもりを味わってからやっと身体を離した。
「寝てなくて大丈夫なの?」
「暇だったから寝てただけー、退屈で死ぬかと思ったよぉ…」
早く帰ってきてくれて嬉しいと笑うファインにくすりと笑って額同士をくっつける。
触れたところから伝わるとろけてしまいそうな熱がレインをやっと安心させた。
離れると、すぐにファインの身体に出るから。
「プーモは?」
「厨房に飲み物もらいに行った」
あまり離れてないから大丈夫と笑うファインに、自分はそんなに心配そうな顔をしていたのかと苦笑する。
ファインの葬儀が執り行なわれている今日、当然ながらファインはこの部屋から出られない。
誰かに見つかるようなことは極力避けるべきだ。
いつも元気に跳び回る姿が印象的だからこんなところに閉じこめることは可哀相だが、ファインと更にはプーモや父や母、キャメロット達と散々話し合って決めたことだからとレインは目を閉じた。
そのまま小さく息を吐くと、笑顔を作ってファインを見つめる。
「私も行ってくるね」
「え、行っちゃうの?」
不満気に、少し寂しげに尖らせた口が可愛らしい。
さっきまで一人だったからレインが戻って来たのが余程嬉しかったのだろう。
すぐに戻ってくるからと頭を撫でてやる。
「何か食べるもの持ってくる。お腹すいたでしょ?」
さすがにそれはプーモでは持ってこれないから自分も行くんだとレインが告げれば、途端にぱっと顔を輝かせた。
ある程度の希望を聞こうと尋ねれば、すぐに甘いものがいいと返ってくる。
それにわかったと頷いて来たときと同じように細く開けたドアの隙間をくぐり抜けた。
「…いつまでそうしているつもりだ」
呆れを含んだブライトの声が響く。
廊下はやけに静かで、遮るものもなくシェイドの耳に届いたはずだ。
俯いたままのシェイドの表情は見えないが想像することは出来た。
おおかたレインの言葉にファインの死を確認して悲しんでいるのだろう。
いつもの冷静さを欠く彼に同情しないでもないが、今はその時ではない。
だって自分にはまだ確かめたいことがあるから。
「僕は信じない」
反射的に睨みつけてくるシェイドを臆することなく見据える。
彼はわかっていない。
ファインが死んで一番悲しむのはレインだということを。
もしファインが本当に死んだのならば、あのレインが無表情を貫けるはずがない。
「彼女はファインが死んだなんて一度も言わなかった」
間接的にファインの死を肯定しているように見えてその実決定的なことは言わなかったレイン。
それが、答えだ。
「僕は行くよ、君はそこで勝手に泣いてればいい」
悲しむのはいつだって出来る。
それよりも今はレインの行動の理由を知りたい。
片割れの死に何も感じないような子じゃないのを知っているから。
シェイドに見切りをつけてさっきまでレインがいた中庭に一歩踏み出す。
むしろシェイドは置いていくほうがいいのかもしれない。
逆上してレインに何を言うかわからないから。
彼女の行動もその表情の理由も確かにわからないけれど、だからといって傷つけたくはない。
決意も新たにブライトが中庭を抜けようとしたとき、後ろからさくと草を踏む音がした。
「…俺も行く」
小さくつぶやかれた声にブライトは振り返らなかった。
「ここだ」
ブライトが示したのは以前はファインとレインの私室だった部屋の前の扉。
ファインがいるかもしれないし、いないかもしれない。
レインが出てくる可能性もある。
そもそも今は使われていないのかもしれない。
なにが出てくるか、わからない。
それでもブライトを信じるならば、きっとなにかがあるのだ。
なんでもいい、その何かに今は縋りたかった。
ノックもせずにノブに手を掛けたことにブライトがため息を漏らしたが、それを気にする余裕すらいまのシェイドにはなかった。
ぐっと手を下げて、押す。
なんの抵抗もなく、それは開いた。
そして聞こえたのは。
「レイン?」
確かに、ファインの声で。
微かに開いただけのドアを一気に押し開けた。
「ファイン!?」
飛び込んだ部屋の中に見つけたのは紛うことなきファインの姿。
赤い髪。
赤い唇。
薔薇色の頬。
桜色の指先。
すべてが、さっき見た棺の中のファインとは違っていて。
生きている。
そう思っただけで体中の力が抜けそうになるが、なんとか叱咤して一歩一歩近づいていく。
「シェイド!?なんでここに…」
「…生きて、る」
信じられなくて手を伸ばしてそっとその頬に触れた。
伝わるのは微かなぬくもり。
そこは確かに暖かくて、生きている。
もっと確かめたくて今度は両手を伸ばして抱きしめた。
厚い布越しに、それでもこのぬくもりはちゃんと伝わってきて。
「ファイン、が生きてる…」
呆然とつぶやくシェイドにそっとファインが笑いかけた。
「うん、ちゃんと生きてるよ」
シェイドの腕の中でファインが微かに涙を見せる。
思わぬ再会に嬉しくて、思わず溢れたそれをシェイドが見咎めた。
「もしかして…監禁されてるのか?」
「……え?」
一瞬何を言われたのかわからなくて空いた間が、シェイドに更なる確信を持たせる。
部屋にいたファインの現状も、閉じ込められているのだと思えば説明が付く。
それから、言われてみれば確かにおかしかったレインの態度。
感情を示さないその顔は何を考えているのかわからなかった。
しかしそれがこうやってファインの監禁を隠すためだったのならば。
「どうしてここに…!?」
聞こえた声に振り返れば、目を見開いて驚きを見せるレインがいた。
ファインを監禁している、当のレインが。
「逃げるぞ…!」
レインの元から離れなければ。
それだけを思ってファインを抱きかかえると、窓に向かって走り出した。
「え、ちょっ…シェイド!?」
呆気に取られて暴れることも忘れたファインが、シェイドが窓に手を掛けた時になってやっと現状を把握する。
しかし気がついたときにはもう遅く。
シェイドに抱えられたまま宙に飛び出していた。
「ファインッ!?」
慌てて窓辺に駆け寄るもファインの姿はそこにはなく、レインは桟を握り締めた。
「追いかけなきゃ…っ!」
「レイン、どういうことか説明してくれ」
走り出そうとするレインをブライトが引き止める。
この現状についていけずファインのことだけでも聞こうとしたのだが、レインがそれを振り切るかのように暴れだした。
その顔はあまりにも必死で引き止めることすら躊躇われる。
しかしこの状況を理解しないことにはどう行動していいのかわからなかった。
「あとでいくらでも話すから!」
とにかく行かせてほしいと叫ぶレインに、放すべきかブライトは迷う。
彼女のこんな姿は初めて見た。
「ファインは私から離れちゃダメなの!!」
ちょうど下の階にあったバルコニーや屋根をつたって地を踏みしめる。
さく、と芝を踏みつけた左足が違和感を訴える。
もしかしたら捻ったのかもしれない。
だが今はそれよりもここを離れなくては。
「ねぇシェイドッ……レイン!」
ひたすらに走り続けて。
すべてファインを助けたいがためなのに。
どうして、彼女はレインの名を呼ぶのだろう。
それがどこか自分への裏切りのように思えてギリと奥歯を噛み締める。
地を蹴る足に更に力を込めた。
「レ、いん…」
あともうすぐ、すぐに月の国の飛行船の発着場に着く。
月の国につれて帰る、ファインには所謂亡命をさせる。
そこまで行けばレインも手が出せないだろう。
少しだけ安心して腕の中のファインを見れば、いくらかぐったりしていて。
ずっと抱えて走っていたのだからそれも仕方ないかと思ったが、それにしては様子がおかしい。
ぐったりと凭れかかるような身体が、冷たい。
「ファイン?」
「…れい、」
力なく伏せられた瞼。
血の気が引いて白さを増していく肌。
服の裾を握ることもままならずに下げられた腕。
時間を追うごとに冷たくなっていく体。
そのどれもが棺の中の彼女を連想させて。
「ファイン!?」
呆然と抱きしめることしか出来なかった。
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