×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
口からこぼれる息が白い。
マフラー越しにふわんと凍った水蒸気が広がって、余計に寒さを感じさせる。
身に着けているのは黒のロングコートでハイネックの上からマフラーを巻いていて、ショート丈のブーツにパンツの裾を突っ込んで手袋もしている。
それなのになぜ、こんなに寒いと思うのだろう。
微かな隙間を見つけては入ってこようとする冷たい空気に意思があるように感じてしまう。
そんなことあるわけがない、それでもいつもなら出てこないような馬鹿な考えが浮かんでくるのはきっと自分がひどく消耗しているからだろう。
ここに来るだけでも疲れた。
歩くのが億劫で、今すぐにでも熱いシャワーを浴びてベッドに入って惰眠を貪りたい。
それでもここに来たのは、会いたかったから。
「ファイン…」
半年前から付き合っている彼女の名前は妙に口に馴染んだ。
呼べば答えるものは何もないとわかっているのに、じんわりと暖かいなにかが胸に広がっていく。
こんな恋愛は初めてで。
ファインだったら、この寒さから救ってくれるだろうか。
躊躇いがちに、それでもすごく期待して、インターフォンを鳴らして愛しの彼女の笑顔を待った。
しかしいくら待てどもドアが開くことはおろかなんの音すら聞こえない。
彼女が多忙なことは知っていたけれど今日くらいは早く帰ってるんじゃないかと期待した。
明日、デートの約束をしていたから。
休日なんてあってない様な彼女と、世間で言う休日なんかお構いなしの仕事の自分で奇跡的に重なったオフ。
二人でゆっくりできる時間は本当に久しぶりですごく楽しみにしていた。
それはもう遠足の日を指折り数えて待つ子供のように。
なのに。
「シェイド?」
かけられた声にはっと振り返る。
そこにいたのはいつもと同じ、優しい笑顔を浮かべる彼女で。
「ファイン…」
「珍しいね、シェイドが連絡なしにうち来るの」
鍵を取り出しながら言う彼女に迷惑だったかと不安に思いながら問えば、きょとんとした顔で見つめられる。
なんとなく後ろめたくて視線をそらす。
するとくいくいとコートの裾を引っ張られて。
「明日まで会えないと思ってたから…嬉しい」
その笑顔が今は眩しい。
これから自分はその顔を曇らせるから。
暖房を入れたばかりの部屋はまだ寒くて、マフラーを取ってコートを寛げるだけでソファに身を預けた。
反対にコートを脱いで身軽になったファインはさっさとキッチンにこもってしまう。
夕飯は済ませたといっていたからなにか飲み物を用意してくれているんだろう。
そんなことよりそばに居てほしい。
そう思うのは自分の我侭だろうか。
「はい、おまたせ」
差し出されたのはいつもファインが飲んでいるのと同じカフェオレ。
いつもは自分が好むブラックコーヒーを差し出してくれるのに。
間違えたのかと思って彼女の手元を覗けばそちらもたっぷりとミルクが注がれていて。
疑問に思って名前を呼ぶ前に良いから飲んでみろと仕草でせっつかれた。
そういう彼女は隣で足を上げて少々行儀悪く座りながら、膝に乗せたマグの中身を冷ましている。
尖らせた口がどことなく幼くて微笑ましい。
とても同じ年には見えないな、なんて思いながら自分もマグに口をつけた。
「おいしくない?」
少し見開いてしまった目を覗き込まれて、首を振る。
暖かくて、ちょっと甘い。
でもこれは砂糖の甘さじゃなくて。
「チョコレート、溶かしてみた」
悪戯っぽく笑う目に苦笑を返せば、嬉しそうにまた微笑まれる。
どうやらカフェオレという認識は間違っていて、正しくはカフェモカだったようだ。
でも急にどうしたのだろう。
あまり進んで甘いものを好まない自分が飲んでも素直においしいと思えて、なんとなくほっとして身体から力が抜けたのは確かで。
同時に先ほどまでの寒さもなりを潜めている。
…暖房が効いてきたおかげというのも十分あるだろうが、それを考慮しても。
「疲れたときは甘いものが良いんだよ?」
レインの受け売りだけど、と笑うファインはやっぱり暖かいと思う。
隣に居るのに10㎝の隙間が憎らしくて詰めれば、触れた肩が暖かい。
一緒に居るだけで心が温かい。
けれど、明日はこのぬくもり手放さなければならなくなってしまったから。
ずるずると先延ばしにしても変わらないんだからと口を開く。
「ファイン、明日なんだけど…」
淡く笑んで向けられた顔を見るのが辛くて俯いたまま言葉を繋げようとするけれど、つかえたようにそれ以上が出てこない。
それでもなんとか絞り出す声は苦い。
「急に撮影が入って…またにしてくれるか?」
「、そっか」
一瞬の間の後に言われた言葉はずいぶんと聞き分けが良くて。
いつものファインなら駄々をこねて文句のひとつでも言いそうなのに。
もしかしてと思いついたのは嫌な予感。
すぐに、今日ではなくても別れを切り出されるんじゃないか。
今まで付き合ってきた彼女たちはみんなそうだった。
そしてこう言うのだ。
『仕事と私、どっちが大事なの?』
不安になってはっと見上げた先のファインは笑顔で。
余計にわからなくなった、もう自分のことはどうでもいいのだろうか。
「…ファインは、言わないんだな」
「え?」
「『仕事が大事なんでしょ?』って」
自嘲するように言えばファインが眉をひそめる。
どうしたのと触れようと伸ばしてくる手を思わず払った。
「次に会ったときが別れ話なんてもう嫌なんだ!」
泣き言みたいな自分のセリフが悔しくて、肯定するだろうファインの顔を見たくなくて、顔を背けた。
思わず涙がこぼれそうになるけれど、唇を噛み締めてそれに耐えた。
格好悪すぎだろ自分と突っ込んでみてももう遅い。
きっとこのまま捨てられるのだ。
「…?」
断罪のようにファインの言葉を待ったのだけれど、いっこうに聞こえる気配がない。
それどころか立ち上がろうとする気配に思わず縋るような視線を向ければ、珍しく苦笑するファインと目が合った。
ぽんぽんと頭を撫でられてわけもわからずキッチンに向かう彼女を見送る。
程なくして戻ってきた彼女の手には濡れたタオルがあった。
「明日撮影なんでしょ?目腫れちゃうよ」
目元に押し当てられた冷たいタオルのせいで何も見えない。
噛み締めていた唇をそっと撫でられ、自然と力を抜いた。
聞こえてくる声はひどく穏やかで、なんと返していいのかわからなかった。
「…シェイドは、私と別れたい?」
「そんなこと思ってない!」
そっかと呟いた言葉はどこかほっとしたような響きをおびていて首をかしげる。
ファインこそ、そう思っているのではないだろうか。
「私はシェイドと別れたいなんて思ってないよ」
思わず目元の手を振り払ってファインを窺う。
その顔はやっぱり笑っていて。
「でも…」
「会えないのは確かに寂しいよ。でもだからって別れたくない」
微かに期待しはじめた心がファインを促す。
別れたくないと言ってくれたから。
だから今度は目を見て聞ける。
一方的に喚くんじゃなくて、ちゃんと話が出来る。
「私も仕事忙しいしシェイドに会えないし、でもだからって手抜きしたりはしたくない。
シェイドは男だから余計仕事頑張りたいと思うんじゃない?」
その通りだから頷いた。
男だから仕事に生きろとか女だからしなくていいとか言うつもりはないけれど、自分の生活のためにそれから隣にいるファインに胸を張って頑張ったと言えるように、しっかり自立したい。
そしていつかは、まだ言葉にしたことはないけれど、ファインを支えられるようになりたい、養っていけるようになりたい。
だから余計に頑張ろうと思えるし、実際に頑張れる。
それをわかってくれていた。
驚きと喜びとないまぜになってどんな顔をしたらいいのかわからない。
「だから仕事中は私のこと忘れてもいいよ」
集中して仕事しろというのは嬉しいが、それはあんまりではないか。
逆にこっちが不安になってしまう。
けれどすぐに付け足された言葉に目を見開いた。
「そのかわり終わったらすぐに会いに来て」
はにかんで笑う顔に大きく頷く。
そんなおねだりだったらいくらでも聞いてやる。
一目散に会いに来る。
「それから…今夜は泊まっていって?」
返事の代わりは少し赤く染まった頬に落したキス。
抱きしめればおずおずと背中に回される腕が愛しかった。
翌日、気合を入れて臨んだ撮影は無事終了した。
急ぎ足で向かうのはもちろんファインの家。
すぐに帰ってきてと言われてもちろんそのつもりだったけれど、じつは1ヶ所だけ寄り道をした。
その成果はポケットの中。
片手におさまってしまうほどのちいさな小箱はビロードの手触りで存在を主張する。
今まで何度か考えないでもなかったが、なんとなく踏ん切りがつかめなくて延ばし延ばしにしてきた。
けれど今なら。
昨日ファインの気持ちを聞けたから。
優しかった笑顔に後押しされて駆け込んだジュエリーショップ。
急いでいるからと店員を急かしたのは早く会いたかったからで。
今まで特に無駄遣いをしたつもりもないから値段は気にしないでお勧めですといわれた中から1番似合いそうなのを選んだ。
これを見たらどんな顔をするだろう。
喜んでくれるといい。
笑ってくれたらそれでいい。
少し緊張しながらインターフォンを押せば、小さく聞こえてくる足音が近づいて。
開かれたドアの奥にはエプロン姿のファイン。
いらっしゃいじゃなくておかえり、と言ってくれるのがもう返事を貰えたみたいで嬉しかった。
でも彼女はまだ知らないから。
発した声が微かに震えてしまう。
どうか、このプレゼントに彼女が笑ってくれますように。
「…渡したいものがあるんだ」
PR